本尊 阿弥陀如来 脇壇 善尊大師 法然上人
開基は天文年間(1532〜55)、勝誉恵光法園上人と伝えられ、宝永年間(1704〜11)に寺町に移転しました。当寺には佐々成政の墓碑があります。成政は織田信長に仕え、猛将として名を馳せ、その功により越中守に任じられます。本能寺の変後は、織田信雄(信長の次子)を奉じ天正12年(1584)小牧長久手戦に参戦しますが敗れ、のち豊臣秀吉に属することになります。肥後守在任中、領地内で反乱がおこり、その責により幽閉され、天正16年(1588)閏5月14日に切腹を命じられます。恨みの秀吉のいる大坂城の方向に自らの臓腑を投げつけたと伝えられています。寺宝として、後陽成天皇(1571〜1617)直筆の和歌一首「なき人のかたみの雲やしぐるらん 夕の雨に途はみえねど」の掛軸や成政肖像画などがあります。特に山門の内に桐、外には菊の紋があり、由緒ある寺院を偲ばせています。
佐々成政公 自刃の碑
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